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黒猫と歌うたい ​作、長月 桜花

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第一幕
それはとても寒い夜の事だった。
とある細い路地に小さい箱が置かれていた。
道行く人は誰もその箱を気にも留めない。
何も入っていないと思っていたからだ。
ただ、その箱はけして空き箱なんかでは無かった。
月の光に反射するように二つの小さな光がキラッと光った。
そう、そこには闇に溶け込んだ黒猫が一匹入れられていた。
おそらくは生まれてやっと目が開けてきた頃だろう。
何故、自分がここにいるのか。そして何故、独りぼっちなのか。
それすらも分かっていない様子だった。
そして、その二つの小さな光は徐々に弱々しくなっていった。
寒さに震え、衰弱した黒猫はまるで母猫に助けを求めるように
「ニャア・・・」
と小さく鳴いた。
しかし母猫が黒猫を温めに来てくれるはずも無く。
もう一度だけ
「ニャア・・・」
と、か細く鳴いた後、黒猫はそっと目を閉じた。
その時、黒猫は温もりに包まれた。
「こんな所でどうしたの?」
温もりの主は黒猫に訪ねた。
だが、黒猫にはもうそれに答える力すら残っていなかった。

 

第二幕
黒猫を胸に抱えた女性が急いで家路につく。
一刻も早く胸の黒猫を温めてあげなければ、この小さな命の火が消えてしまう。
その一心で彼女は走った。
そして黒猫が次に目を開けた時、彼は毛布に包まれストーブの前にいた。
彼女が彼を湯に入れ、乾かし、毛布に包んでくれたのだ。
「ニャア」
彼がシッカリと鳴くと、隣でうたた寝をしていた彼女が目覚めた。
「よかった、気がついたのね」
そう言って彼女は彼を再び抱きしめた。
その、まるで母猫のような温もりに、彼は安心し再びまどろみ始めた。

 

第三幕
彼はすっかり元気を取り戻した。
一人部屋の中を駆け回ってはあらゆる物にジャレついた。
そんな黒猫を女性はいつもギターを弾きながら笑顔で見ていた。
彼女の職業は駆け出しのシンガーソングライターだった。
決まった仕事も無く、収入はけして安定してるとは言えなかったが、彼女の毎日はとても満たされていた。
そして黒猫を家に招いた事で更に彼女は充実した日々を送れていたのだった。
彼女が歌うと彼もそれに合わせるかのように
「ニャア」
と鳴いて答えた。
一人と一匹の音楽会は毎晩続いた。

 

第四幕
そんな幸せな日々に突如終止符が打たれる事になった。
「うちはペット禁止ですよ、しかも黒猫だなんて縁起が悪い」
彼女の住むアパートの大家が冷たくそう言い放った。
黒猫を手放す事なんて出来ない、そんな彼女の必死の交渉も虚しく、部屋を退去させられる事になってしまった。
しかし、次の家を探そうにも彼女は駆け出しのシンガーで貯金などなく、実家と呼べるものもとうの昔に無くなっていて行くあてなどなかった。
売れる家財道具は全て売り払った、だがそれも微々たる金額にしかならなかった。
そうして彼女はギターと僅かばかりの現金と黒猫を入れたキャリーバッグを持って寒空の下に追い出された。
「ニャア?」
黒猫は状況が分からずに首をかしげながら鳴いた。
「大丈夫だからね」
彼女は笑顔でそう答えた。
ただ、その言葉は誤魔化しでしかなかった。

 

第五幕
どれくらいの時間が経ったのだろう。
彼女の持っていた僅かばかりの現金も底をつき始めていた。
彼女に出来る事と言ったら街角で歌う事くらいだった。
昼も夜も声が枯れんばかりにひたすら歌う。
ただ、道行く人が足を止め彼女のギターケースにお金を入れてくれる事は滅多に無かった。
それでも彼女は声を出し続けた。
その姿はまるで、あの寒空の夜に箱に入れられていた黒猫のようだった。
彼女は自分の食事を減らしても黒猫にはキチンと食事を与えた。
彼だけが全てを失った彼女の唯一の家族であり心の拠り所であった。
ただ、黒猫も状況が分かってきたのか。
「ニャア」
と不安げに鳴くのだった。

 

第六幕
その日、彼女はある決断をする。
現金は遂に底を尽きた。
このままでは黒猫を食べさせる事は出来ない。
最後の方法、それは彼女の大事なギターを売る事だった。
他の全てを手放しても決して手放す事の無かったギター。
しかし、彼女にはもう他に選択肢は無かった。
そんな時、彼女にとある男性が声をかけた。
「立派な黒猫ですね、この猫を私に譲って頂けませんか?」
彼女は当然拒否した、黒猫は大切な家族。手放す事なんて出来る訳が無かった。
しかし、男性は食い下がる事なく黒猫の対価として金額を提示した。
それは彼女が新しい家を借りるには十分な金額だった。
「お金の問題じゃありません!」
彼女は怒りをあらわにして答えた。
すると男性は彼女に訪ねた、貴方にこの黒猫を養う事が出来るのか、と。
彼女は何も言えなくなった、たとえギターを手放したとしても焼け石に水。
このまま黒猫を養い続ける事は実際彼女には難しかった。
それならこの男性に貰われた方が幸せなのではないかと思った。
彼女はそっとキャリーケースを男性に渡した。
「ニャア!」
女性から離され黒猫は必死で鳴いた。

 

第七幕
黒猫は男性の家に連れて行かれた。
男性の家は立派で、彼は今まで見た事も無いような豪華な食事を出された。
しかし、彼はそれに口をつける事は無かった。
そして家中を歩き回った、彼女を探していたのだ。
だが、何処にも彼女の姿は無く。ただ彼を孤独にしただけだった。
そんな日々に耐えかねてある日、彼は窓の隙間から飛び出した。
何処にいるのかも分からない彼女を探してひたすら歩く。
既に何日も食事をしてなかった彼はフラフラになりながら、それでも足を棒のようにして探した。
そして遂に見つけた彼女は前と同じく街角に居た。
しかし、彼女はもう歌う力も無く、道端にただ座っているだけだった。
何故なら、男性から渡されたお金を彼女は一円も使う事が無かったからだった。
彼女は唯一の家族と引き離された絶望の中にいた。
「ニャア」
彼はそんな彼女の膝の上に飛び乗り顔をペロッと舐めた。
「なんで・・・戻ってきたの」
彼女は驚きそう言うと涙を流して黒猫を抱きしめた。
その温もりこそ彼がただ欲しかったものだった。

 

最終幕
彼女が最後の力を振り絞って歌を歌う。
彼も最後の力を振り絞って合わせて鳴く。
まるであの幸せだった日々の音楽会のように。
そして歌を歌い終わった後、彼女は彼を抱きしめ倒れ込んだ。
「ニャア」
黒猫も彼女に包まれながら幸せそうに鳴いた。
そして共に眠りについた。

ギターの音が鳴り響く、彼女が笑顔で歌う。
そして、その隣にはちょこんと黒猫が座っている。
一人と一匹のハーモニーは、ずっとずっと終わることが無かった。


 

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